やまいびと

ある闘病当事者・機能不全家庭出身者のブログ ~生きにくい人生を送ってきた私から、生きにくさを抱えたあなたへ~

アダルトチャイルドが「困っている人を放っておけない」と思う時の心理と改善法

「困っている人を放っておけない」タイプの人間でした

私は、困っている人を見かけると、「なんとかしたがる」タイプの人間でした。
辛そうにしている人がいると、食事に誘ったり、その人が必要そうとしている情報を頼まれてもいないのに調べて助言したり。

困っている人がいたら、手を差し伸べる
一見、悪いことではないように思える行為ですし感謝されることもあったのですが

すごく時間や手間暇をかけて手助けをしても却って迷惑がられたり、逆に際限なく頼ってこられるようになって私自身が負担になってしまうなど、あまりよくない結果になることも多かったです。

ヨカレ、でした行為が感謝されなかった理由

1)自分の自己無価値感を埋めるための行為だったから

ある時、また「困っている友人のために」行動していた時に、ふっと気付いたのです。

自分の中には、無意識的にですが、「困っている人を手助けしている範囲では、その手助け自体に価値があるから、その友人は私を邪険にしないだろう」という考えがあった。

本来、友人との食事などはお互いが一緒にいること自体が心地いいから誘い合う。



だけど、アダルトチャイルドは自分自身には価値がないと思い込んでいる。
私との食事なんかにつき合わせるのは申し訳ない、表面上は笑っていても内心は辟易しているかもしれない、と恐れている。

楽しく会食していても、帰宅後に「こんな事を言って、相手は気分を害したのではないか」等と一人反省会を始めてしまっていたたまれない気分になったアダルトチャイルドは少なくないのではないでしょうか?

自分は無価値な存在。そこで「親切」という相手にとって価値があるはずのものと無価値である自分をセット販売にするわけです。

自分の自己無価値感を埋めるための行為」だったので、押しつけがましかったのだと思います。

特に相手が困っていなくても、一般的な友人という度を越して、やたらと奢りたがったり、プレゼントを贈りたがったり、運転手などの面倒ごとを引き受けたりするのも似た心理が働いているはずです。
これらの行為自体が悪いことではなく、度を越していたり、やっている本人が負担に感じているのにやめられなかったりする場合、そこに問題があると考えます。

2)自他の境界がなかったから

また、機能不全家庭で育って「相手の問題」と「自分の問題」を切り分けるという考えが無かったので、「自分ならこう選択する」という選択肢を相手が取ることを、相手に期待し過ぎていたのだと思います。

ヨカレと思っての行動なのにいい結果にならなかった理由

このような態度を取ってこられると、自立的で健全な人間は居心地が悪くなります
自立的で健全な人間は自分の意思を持っているので、他人の助言は参考にはしても、鵜呑みにして行動することはしません。「助言を聞き入れて欲しい人」との間には、軋轢が生まれる。

そして自立的で健全な人間は「ギブ・アンド・テイク」をヨシとして生きているので、一方的・過剰な「親切(貢物)」を渡されると居心地が悪くなる。

結果、自立的で健全な人間は、アダルトチャイルド的な手助けをしたがる人からは距離を置いてきます

逆に、この手の手助けをする人に近づいてくるのは、依存的な人と、他人を利用したい人。常に誰かを頼っていたい人、手助けを当然のものとして「もっともっと」と要求してくる人だけが、残ることになる。

「大雨の日に困っていそうだったから送迎しただけなのに、いつの間にか会うたびに当然のように車出しを期待され、気付いたら無償の運転手にされていた」というようなことが起こるのは、こういうカラクリなのだと思います。

まずは「それは誰の問題ですか」と自分に聞いてみる

では、困っている友人がいたらどうしたらいいか?と思いますよね。

まずは自分に「それは誰の問題ですか」と聞いてみるといいといいと思います。

  • 困りごと自体は、知人の問題
  • 手助けをする・しない、と、どこまで手助けするか、手助けすることで「役に立てた」という喜びを感じたい、というのが私の問題

ということになるはずです。まずはこれをしっかり自覚します。

相手に選択肢を与えるのが、真の手助けだと思う

たとえば、困っている知人を見て、愚痴位は聞いてもいいかなと思ったら「話を聞くよ」とランチにでも誘って、相手が乗り気そうならそのまま話を進めるけれど、乗り気ではなさそうなら「そんな気分になったら声をかけてね」と言ってサッと引く。

あるいは「私はこういう手助けなら出来るから、必要な時は言ってね」とだけ伝えて、実際に相手が聞いてきたら、聞かれた分だけを、快く答える。

そんな風に、あくまで相手に選択肢を与えるのが、ワルクナイ手助けの方法だと思います。

相手のニーズと自分のニーズ(承認欲求)の優先順位を間違えないのが、手助けと押し付けの分かれ道ということです。

相手に選択肢を与える、というと「困っている人の言うなりにならなきゃいけないの?」と感じる人がいるかもしれませんが、そうではありません。

困っている人の側に手助けを依頼する・しないを決める権利があるように、手助けする側には手助けをする・しないを決める権利がある

手助けをするかしないかを決めるのはあなたですから、相手から色々依頼されたとしても、自分自身に手助けする余裕がない時や、これ以上は負担だと感じたら断っていい。

それが、対等で健全な人間関係だと思うのです。