やまいびと

ある闘病当事者・機能不全家庭出身者のブログ ~生きにくい人生を送ってきた私から、生きにくさを抱えたあなたへ~

鮮烈な文章

最近になって、発病後数年という時期に何年か書いていたブログを見返してみたら
(ブログ自体はずいぶん前に削除していて、PC内にバックアップデータがあるのみです)
 
文章は今よりずっとずっと拙いんだけど
鮮烈な苦しみ悲しみが伝わってきて
自分が書いた文章ながら、読んだだけでキュッと胸が詰まるような文面で、ブログがつづられていた。
 
「あー、私にはもうこんな文章は書けないな」って思った。
 
書けなくていい、と思った。
 
発病後数年目というのは、病気を前提に人生そのものを、不可逆な形で書き換えていかなければならない時期だ。
 
身体自体は発病直後の方が苦しかったりはするけど
仕事も病気休暇や休職制度を使える。
貯金でもある程度は生活していける。
友人や恋人も、心配して回復を待ってくれている。
その内回復するだろうという希望もあるし、治りさえすれば「発病前の世界」に戻っていける時期。
 
それが何年か経過すると、
仕事は辞めるしかなくなる。
貯金、尽きる。
友人や恋人は離れていく。
病気と知った途端に連絡が来なくなった人もいるし、そんな露骨な話でなくても何年も誘いに応じずにいれば自然と疎遠になっていくし、交流は残っていても話題は合わなくなってくるし「病気に配慮する人と、される人」という風に対等ではない関係に変質していく。
 
たとえ病気が治っても、失われたものはもう戻ってはこないフェーズに入っていく。
 
病気を前提とした人生に、舵を切らざるを得なくなる
 
「諦めても地獄、諦めなくても地獄」そんな選択を繰り返してきた。
当時30前後で周囲の人達は疲れ知らず・病気知らずで、趣味に仕事にデートに充実した日々を送りながら、昇進、転職、結婚、出産・・・様々な人生のステップを進めている最中で
病気で臥せっているしかなかった私は、置いていかれる焦り、理解されない苦しみ・・・孤独そのものだった。
 
死んだ方がマシと思ったことは数えきれない。
 
今も病気のまま、失われたものは戻らないけれど
ささやかな平穏の中を生きている。
 
戻りたくない。
 
あの鮮烈な文章が書けるような日は、もう二度と来てほしくない。