やまいびと

ある闘病当事者・機能不全家庭出身者のブログ ~生きにくい人生を送ってきた私から、生きにくさを抱えたあなたへ~

私は痛いと伝えることに、恐怖を感じていた

マッサージを受けていても痛いと言えなかった

体中の凝りが酷い私はマッサージを受けることがあるのですが、程よい力加減って人によって違いますよね。

AC真っ盛りだったの私は、施術が痛くても言えませんでした。

お金を払って、私が気持ちよくなるための時間と技術を買っているのだから、当然言う権利はあると分かっているのに、です。

もし「弱すぎて効かないなあ」と感じているけれど、マッサージ師さんが非力な方で真っ赤にして施術していてそれ以上「強く」とお願いするのは酷だなあと感じた・・・ならまだわかりますが

「もっと弱くして」と言われて困る人はまずいません

普通に伝えられる人からみたら、わざわざお金を払って黙って苦痛に耐えているとか意味が分からないでしょうし、マッサージ師にしても、コリをほぐすために働いているのに、客が苦痛しか感じていないとなると「せっかくの仕事が台無し」なわけで「言ってよ!」って話でしょう。

靴擦れしていても、痛いと言えなかった

別の機会で、たとえば友人と街を歩いていて、靴擦れを起こしても、言い出せませんでした。

とにかく歩き切る以外しかたない山歩き中に「もう歩きたくない」と言われたら困る人もいるでしょうが、街中で「ちょっと絆創膏買ってきていい?」と言われて嫌がる人はまずいないでしょうし、普通に健全な人なら友人が痛みに耐え血を流しながら自分とのショッピングを続けていたなんて後から知る方が申し訳なく思うでしょう。

何もないのに病院にかかったら医師から怒鳴られる・・・ような気がしていた

身体の一部がどうしても痛くて、受診した時も、私は物凄く緊張していました。

レントゲンで異常がみつかった瞬間に「ほっとした」ことで自分が恐怖感で緊張していたことに気付いたのですが・・・普通は「異常なし」と言われた時にほっとしますよね。

そこでやっと「この感情は、おかしい」と気付いて・・・自覚しました。

何も異常がなかった時に、医者が「なんともないのに痛がるな!病院になんか来るな!」と怒鳴りつけてくる・・・そういうイメージを、私は持っていたのです。

父の呪いだった

もちろん、医者は異常がみられない患者が来るたびに怒鳴りつけたりしません。

じゃあ、誰が。

父でした。

父が、私が痛いとか辛いと訴えると、寄り添うどころか「これ位で痛いと言うな」「これ位で辛いと言うな」と怒り出す人だったんですね。

医者や、友人、マッサージ師に父から「学習」したことを重ね、痛い、苦しいと伝えること自体に恐怖を感じるよう刷り込まれていたようです。

 

虐待を受けると「こんなところに」と驚くような所に地雷が埋まっており、大人になった後にも必要ない所で恐怖を感じたり緊張したりして振り回されることになるんですよね・・・。