未消化の悲しみや怒りを言語化することによる
毒親のデトックスを進めているうちに
私はある日、唐突に理解した。
母は 私という存在が ただ 疎ましかったのだ
何をしたからでも、何をしなかったからでもなく
ただ、私の存在自体が疎ましかった。
子供というものは身近に起こることの原因が自分にあると考えがちらしい。
子は、親が愛をくれないと「自分が悪い子だったからだ」と思い込む。
そう思い込んで、親の気を引こう、愛を引き出そうとして
泣いたり笑ったり、いたずらをしてみせたり
イイコを振る舞ったりする
哺乳類というのは親の愛と乳と保育がなければ生き延びられないから
こういった行動は、本能の奥深くに刷り込まれているのだろう。
だけどそうじゃなかった。
母は 私という存在そのものがうとましかった。
だから私が 何をしても しなくても 気に入らなかった。
そう気付いて過去の言動を振り返ったら
不可解だった母の態度が、スラッと理解できた。
母は精神的にとても幼い人だったから
おそらく実家でも、そして結婚後もずっと「守られるべき女の子」の立ち位置で親兄弟や夫を一方的に頼って生きてきた。
・・・本物の「守られるべき女の子」である私が生まれてしまうまでは。
だから、私の容姿や女の子らしくない振る舞いを嘲笑う一方で
私が可愛らしく振る舞ったり装おうとすることは全力で引き止めたのだ。
だから「お母さんは子供の頃皆の人気者だったのに、おまえは地味で不細工で可哀想」が口癖だったのだ。
生まれ落ちた瞬間から、私は母から「女の子」の立ち位置を奪う憎き敵だったのだ。
哀しい現実。
だけどそれは「自分は不出来な子だから母から愛されなかった」という自責の念から解き放たれた瞬間だった。
私がどう振る舞おうと、引き出せる愛など、最初からなかったのだ。